「熟達論」(為末大)を読んで考えたこと

熟達論 為末大 ハードル

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何かを学ぶときの学び方ってむずかしいですよね。

スポーツの世界で名を馳せ、経済人、教育者としても活躍する為末大さんが書いた本「熟達論」には、そのヒントがありました。

何かを学ぶときに大事なのは「自分が何をしていて、どんな学びのフェーズにいるのかを自分で理解すること」です。自分のいるステージを知ることで、次に何をやればいいのかが見えてきます。

学びは、その段階によって、やるべきことが変わります。

自分が何をすべきかを知っていれば、派手なキャッチーなトレーニングに目が行くこともなくなります。型を身につけるフェーズのときには、色々な人のアドバイスを中途半端にまねするのではなく、なかば盲目的にひとつひとつの型を身につけていくことに専念できます。

でも、型を身につけた後で止まってしまうと、そこで成長が止まってしまいます。次の段階に進むことで、さらに上を目指すことができます。

ただ、このプロセスは、簡単なことではありません。自分が何を必要としているのか、どんなトレーニングが必要なのか、常に自問自答しなければなりません。

その結果、普通のトレーニングが必要な時もあれば、それ以外の手段を使うこともあります。

地味なトレーニングを考えてみてください。野球選手であれば、何百回もボールを打つ練習、ランニング選手なら、一定のペースで長く走り続けるトレーニングなど、シンプルだけど大切なトレーニングです。

自分の現状を理解するためには、自分自身をそのまま受け入れる心が大事です。すぐに良いところ悪いところと評価するのではなく、自分のことをそのまま受け入れて、そこから何を学び、どうやって前に進むかを見つけ出すことが大切です。

新しいことを学ぶとき、細かく動きを分けて調整することが理想的と言われますが、それは簡単なことではありません。

ランニングのドリルのように、無意識の部分を変えられるトレーニングや、何度も何度も言葉にすることでしか、行動は変わらないと思います。

例えば、野球選手が新しい打ち方を身につけるとき、ただ練習メニューをこなすだけではなく、無意識の部分を変えられるようなトレーニングが求められます。

具体的なバッティングの形を何度も練習したり、同じ動きを何度も繰り返すよりも、たくさんの打席に立って、本当の試合のような状況で反応力を鍛えることで、新しい打ち方を身につけることができます。

要するに、自分がどの段階にいて、何をやるべきかを知り、自分の現状を受け入れること。これが上手くなるための道しるべとなります。これらを見過ごせば、上達するのはむずかしくなります。

学びの道は終わりがありません。だからこそおもしろいのかもしれません。

私自身、いま最も興味があるのがマラソンですが、いずれ別のことにも強烈な学びたい欲が出てくるかもしれません。

想像するだけでもワクワクします。