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足切りペースの計算
2023年10月15日に開催される東京レガシーハーフマラソンに出走する予定です。
目標は、歩かずに完走することです。競技時間の2時間50分を目一杯使ってゴールすることを考えると、2時間50分の間、体を動かし続けられるだけの体力が必要です。
しかし、それだけでは足りません。
制限時間があるため、時間内に関門を通過できるだけのスピードが必要です。
募集要項によると、一般ランナーの参加資格はハーフマラソンを2時間30分で完走できることとあります。2時間半でハーフマラソンを完走するには、7:07/kmのペースで走る必要があります。
ですが、募集要項をよく調べると、関門が4か所設置されていることがわかります。
パッと見たかぎり、7:07/kmのペースでは関門に引っかかってしまいそうです。詳しく計算してみましょう。
スタートライン通過まで20分
まず、前提として最後尾のランナーがスタートラインを通過するまでには20分くらいかかると思われます。
2022年大会の参加者から、スタートまでに20分かかったという話を聞きました。
また、今年の募集要項を見ると、競技時間が2時間50分なのに対し、参加資格が2時間30分で完走できる人とされているので、差分の20分はスタートまでにかかる時間と考えてよさそうです。
となると、先頭のランナーがスタートするのが9時50分なので、その20分後は10時10分になります。
最後尾からスタートすることを想定して、スタート時間を10時10分として計算を始めます。
以下の表に、4つの関門までの所要時間とペースをまとめました。
距離(km) | 閉鎖時刻 | 10:10からの時間(分) | ペース(/km) |
---|---|---|---|
7.9 | 11:03 | 53 | 6:43 |
10.4 | 11:20 | 70 | 6:44 |
15.4 | 11:54 | 104 | 6:45 |
19.2 | 12:20 | 130 | 6:46 |
7:07/kmのペースで走っていたら、まったく間に合わないことがわかります。
遅くとも6:40/kmのペースで走らないと、トラブルがあった時に簡単に足切りにかかってしまいます。トイレに立ち寄ることを考えると、もっと早いペースで走れるようにしておかないと難しそうです。
とはいえ、慌てて練習したところで急に足が速くなるわけではありませんので、まずは3時間からだを動かし続けられるようにトレーニングをしていきます。
スピードやペースといった話はその後からでも十分です。というか、土台がしっかりできていなければ、ペースのことを考える前に怪我をしかねません。
せっかくの機会なので、無理のない範囲で完走を目指して、日々の運動を楽しんでいきたいです。
20分より早くスタートできたら?
運良くスタートラインを通過するまでに20分かからなかった場合についてもシュミレーションしておきます。
15分で通過した場合
距離(km) | 閉鎖時刻 | 10:05からの時間(分) | ペース(/km) |
---|---|---|---|
7.9 | 11:03 | 58 | 7:21 |
10.4 | 11:20 | 75 | 7:13 |
15.4 | 11:54 | 109 | 7:05 |
19.2 | 12:20 | 135 | 7:02 |
10分で通過した場合
距離(km) | 閉鎖時刻 | 10:00からの時間(分) | ペース(/km) |
---|---|---|---|
7.9 | 11:03 | 63 | 7:58 |
10.4 | 11:20 | 70 | 7:42 |
15.4 | 11:54 | 114 | 7:24 |
19.2 | 12:20 | 140 | 7:18 |
5分早くスタートできるだけでかなり見える景色が変わってきます。
15分のロスでスタートした場合は、7:02/kmのペースを守れば足切りにあいません。10分ロスでスタートした場合は、7:18/kmまでペースを落とすことができます。
実際はトイレによることもあるでしょうからもうすこしペースを上げなければいけませんが、20分ロスのペースと比べればその差は歴然としています。
コツコツ走力を上げるより、当日1分でも早くスタートラインを通過できるように早く整列する方が、なんだか完走に近づくような気がしてきました。
発想がひねくれていますが、知っておいて損のない情報かとは思います。
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