『生殖記』から広がる多様性とSDGsの本質:読書で得た新たな視点

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「多様性」の真実に触れる──読書で得た視点の広がり

朝井リョウさんの「生殖記」を読みました。

前作『正欲』から気になっていた本をようやく手に取りました。

最初に惹かれたのは、その斬新な設定です。こんな物語の着想をどうやったら思いつくのだろう。

そんな好奇心が止まらず、勢いで購入しましたが、結果として「読んで良かった」と思える一冊でした。

普段はあまり読まないジャンルの本だったこともあり、ページをめくるたびに新鮮な感覚がありました。

その中で特に心に残ったのは、「多様性」や「SDGs(持続可能な開発目標)」についての新しい視点。日常的に使われるこれらの言葉が、いかに狭い範囲で捉えられているのかを思い知らされました。

多様性とは、本当に多様なのか?

私たちが「多様性」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、人間社会における違いだと思います。

でも、そういった多様性すら、私たちの主観に大きく依存しています。たとえば、自分が考慮している「多様な人々」の範囲が、実は驚くほど限定的であることに気づかされました。

さらに視点を広げて、ヒト以外の生物に目を向けたとき、その多様性についてはほとんど考えていない自分がいることも痛感しました。

地球上には無数の生物が存在しているにもかかわらず、その存在にほとんど思いを巡らせていない。それどころか、同じ人間でさえ、私たちは自分に近い存在を基準にしてしか理解できていないのです。

この本を読んで、そんな自分の限界を突きつけられるような感覚を味わいました。

他人の評価を気にしすぎる「偽善」

もうひとつ衝撃を受けたのは、「多様性」を語るときにどれだけ自分が他人の評価を気にしているかという点です。

日本に住んでいる限り、自分の地位や安全が脅かされることはほとんどない。その枠組みの中で「理解しているつもり」になっているだけなのかもしれない。そんな自分に気づくと、多様性について他人と話すこと自体が怖くなることもあります。

とはいえ、そう感じることが行動しない理由にはならないとも思いました。

この本は、「すべてを理解している人なんていない」という前提を認めた上で、それでも行動する必要性を教えてくれます。

他人にどう思われるかを気にしすぎるより、自分の視点で誠実に考え、伝える努力を怠らないこと。それが大切だと感じました。

人間だけが持つ「余計な思考」の特異性

本書の中で、人間が「死を知りながら生きている唯一の生物」であると書かれていました。

人以外の生物は、きっと「今この瞬間」のことだけを考えて生きている。だからこそ、人は余計なことを考えてしまう。

でも、その「余計なこと」こそが文化や創造を生み出しているのだと気づかされました。このメッセージは、読んでいて非常に印象に残りました。

自分のポジションを見つける

本を閉じたあと、考えたのは「自分なりの多様性のポジションをどう取るか」ということでした。

すべてを理解することは不可能でも、それを理由に黙る必要はありません。他人の評価を恐れず、自分の言葉で発信し続けること。その重要性を再確認した読書体験でした。

この本は、自分の視野を広げるための一歩をくれるような一冊です。これからも、こういった本との出会いを大切にしたいと思います。